akiraの個人ブログ

akiの個人ブログです。読んだ本の感想、めんたねでやってる心理学、カウンセリング、催眠の事とか、他にも旅行、外食、買ってよかったもの、ラノベ、アニメなど興味のあるものを書き連ねていきます。

千葉県の上総湊の神社でお札を配り歩く手伝いをしてきた。

先日千葉県の上総湊駅近くの八雲神社でご奉仕をしてきた。
プロフィールにも書いてるのだが僕は國學院大学という大学を出ていて、神道を勉強していた。その國學院大学の先生だった椙山林継先生が八雲神社という神社で代々宮司をやっていて、大学での縁で去年からこの時期にお手伝いをしている。

毎年八雲神社では年末になると氏子地域の家々を訪問して新年のお札を頒布するという全国でも珍しいことをやっている。元々この上総湊の住民は半農半漁で忙しく、忙しいので神社お参りして新年のお札をもらうということが難しかったそうだ。そこで神職が家々に出向いて新札を頒布するということをやり始めたのだとか。東日本ではやっているところもあるが、全国的にも珍しいとのこと。

大学院を修了して、國學院で一緒に勉強していた仲間ともちょっと疎遠になっていたけれども、先輩から2年前に誘われてから毎年楽しみに参加している。

お手伝いとはいえ、神職として配布するので当然こんな格好になる。

真ん中が僕です。
手に持っているのはお札を入れた袋を風呂敷で包んだもの。25セットくらい持って練り歩く。
配布するのはこういう袋に入ったお札だ。

神宮大麻(伊勢神宮の天照大神のお札)
氏神のお札(八雲神社のお札)
年神様
の3体セットである。

事前に配布するお札を袋に入れたり、袋を風呂敷で包んだり、地域の地図を大きく印刷したものを担当ごとに切り分けてどこを回っていくかを検討する。
3日間担当したが2日ほど雨に降られてしまってなかなか大変だった。

袴に羽織でコートが着られないのだが、幸いに気温は高めであったので寒いということはなかった。下にヒートテック二枚重ねで着ていたのもあるが。
寒さよりも雨でお札が濡れないように気をつけて回るのが大変だったと思う。

紙と木でできたお札とはいえ、一日中持って歩いていると腕が痛くなってくるのもあるし、和服なんてしばらく着ていないから和服で1日練り歩くと普段使ってない筋肉が使われるので地味につかれるというのはある。今回初めてこの奉仕に参加した学生さんは終わった後ぐったりして眠っていた。

3日ほど奉仕していていくつか気がつくことがあった。まず空き家が結構目立つということ。過疎化がある程度進んでいて、人が減っているというのもある。また、港町で東京からのアクセスがいいので(電車で2時間車で1時間ちょっとくらい)別荘を買っている家もあるせいもあるだろう。

それまで地域で住んでいた住民と新しく入ってきた住民が混在してる感じだった。

また、人との距離感との違いが目立った。家を訪問する場合都会だと呼び鈴を押して相手が出るのをまつが、こっちでは呼び鈴を押しても耳が遠くて聞こえない老人も多いので、引き戸を開けて玄関に入って声をかけるということをやったりする。そしてそれを問題にしている住人がいない。多分昔も都会はこんな感じだったんじゃないかと思う。サザエさんとかをみるとわかりやすいが、勝手口から外の人間が入ってきて声をかけるということを日常的にやっていたのだろう。ここではまだそれが生きている。

個別に家を訪問するとあまりプライバシーに関わるから表立ってかけないけど玄関を見るだけでその家の家庭状況や経済状況がわかる。なかなか深刻そうな家もある。何気ない会話が重かったりもしたり。色々と人生について考えてしまう。

ちなみに上総湊は港町だけあって、魚が実に美味しい。奉仕の最中は朝昼晩とご飯が出るのだが、ずーっと魚ばっかり食っていた。寿司は2夜連続で

一番うまかったのがカワハギの肝和えである。これはなかなか普段食べられないとお思った。新鮮でうますぎた。

他には朝ごはんに赤えい(マンタ)の煮物が出てきたり。クセが強いが濃厚で美味しい。ゼラチン質があって歯ごたえがあった。味は淡白な白身。

 こちらはぶりの煮付け。

他に楽しかったことは神道に関するアカデミックな話ができることだろうか。大学院にいた時は正解しか話さないといけないような気分だったのだが、研究をやめて離れてただ純粋に自分の興味にそって先生や先輩の話を聞いているのはただただ楽しい。先生の人柄もあるだろうし、雰囲気もあるだろう。のびのびと居心地のいい空間だった。また来年もきたいなと思う。