ラーメン屋のこうかいぼうに行くついでに富岡八幡宮に行ってきた。
富岡八幡宮は大学院の頃に祭りがあって地域を練り歩くバイトをやっていたことがありそれ以来である。意外と地元から近いはずなのだが近いとかえっていかないのかもしれない。
しかしあんな事件があるとは…
行ってきたのは夜の8時頃だったので人は居なかった。ただ明かりは灯っていてそれはそれなかなか見事な光景だった。流石に古いお宮だけはある。
ところで正面の鳥居にそばに「富岡八幡宮」と社号が刻まれた石があるが、この文字を揮毫したのは安岡正篤なのだという。全然知らなかった。今回行って初めて気がついた。
安岡正篤は僕が中学生から高校生に書けてのめり込んだ人だった。陽明学者で戦前から戦後にかけて政財界で大きな影響力をもった人物だった。こんあ近くにあったとは。よく見たら確かに見慣れた安岡の文字である。
鳥居を入ってすぐ右手にこの看板がある。富岡八幡宮は東京十社の1つである。東京十社とは明治に入って天皇が京都から東京に来るにあたり、東京の守護を担う神社として准勅裁社というものを制定した。准勅裁社制度自体はすぐに無くなってしまったのだが、かつて准勅裁社に制定されてかつ東京23区にある神社を東京十社として呼ぼうという動きがあってその後定着することになる。写真にある神社にはこの看板があるので見てみると面白い。
伊能忠敬先生の銅像。日本地図を作った人。東京の塾に通うためこの辺りに居を構えていたのだという。
流石に富岡八幡宮はお金があるのだなと思った。鳳凰の口から手水ですか。
今度は御朱印をもらいに来よう。
ちなみにすぐ隣の深川不動堂にもちらっと行ってきた。