この前の日曜日に千葉県千葉市の戦争遺跡を見に行っていた。現在では東京に近い地方都市であるが、戦前は陸軍歩兵学校、気球連隊、汽車連隊など陸軍関係の学校や施設があり、軍都として栄えていた。軍都として発展していた故に空襲の被害も受け、その影響で跡形も残らなかったものもある。
しかし調べてみると意外と残っているものも多く、千葉県民であるし行ってみようかと思い立った。
まずJR西千葉駅で降りた。
千葉大学(東京帝国大学第二工学部)
戦争遺跡とは関係ないのだがせっかくなので千葉大学に寄ってみた。ちなみに千葉大学の敷地には戦前は東京帝国大学の第二工学部があった。軍事産業を支える技術者や研究者を育成するために作られたものである。1942年から1951年まで存在していた。そうしたものを思わせるものは見つからなかったけど。
周辺には学生向けのラーメン店やカレー屋があった。行き損ねたがラーメンショップもあるみたい。
構内はイチョウがきれいに色づいていた。
旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築(千葉経済大学)
早々に千葉大学を後にして、千葉経済大学にある鉄道連隊の倉庫に行ってきた。トタンで舗装されているが、煉瓦造りのそのままの形で残っている。なかなか壮観だった。明治時代の建築で10連アーチ設計はなかなかない作りだそうだ。中に入れたら面白いだろうけど入れなかった。
陸軍歩兵学校(作草部公園)
千葉経済大学を東に歩くと千葉モノレールの路線が見え、天台駅が見える。天台駅付近にある作草部公園という公園が陸軍歩兵学校の跡地になる。
とはいえ遺跡になるようなものは何も残っていない。記念碑が残っているが記念碑にも当時のものが残ってないのでこうして石碑を建てたと書いてある。言われないとわからんな。普通の公園だった。
あとで調べて知ったのだが公園の隣にある鑑別所とかには柱の跡があるとか。事前に調べなかったのが悔やまれるが仕方ない。
陸軍気球連隊第二格納庫
公園を東に歩くと、川光倉庫という会社の倉庫があって、そこが陸軍気球連隊第二格納庫使用されていたということであったが、やはり完全になくなっていた。解体が始まったというニュースは聞いていたが予想より工事のペースが早かったようである。すっかり更地になっていた。そもそも千葉市の戦争遺跡をみてみようと思ったきっかけが、この格納庫の解体のニュースを知ったからである。まあ仕方ない。
有名なところなので調べれば写真はいくらでも出てくるがこの辺のブログとかにある。
解体前の内部写真が展示されていた。
千葉公園の戦争遺跡
今度はモノレールの線路沿いに南に下った。モノレールに乗ってもいいが一駅くらいなので歩いた。歩くと公園の隣の競輪場が見えてきた。
競輪場の斜向かいに質屋の看板があるのが業の深さを感じさせる。
現在の千葉公園はかつての陸軍鉄道聯隊の作業場訓練場だった。公園内には鉄道聯隊関係の遺跡が残っている。
まず見つけたのがウインチ台跡だった。よくわからないが調べたらワイヤーで巻き取って物を移動させる機械を載せる土台だったとか。
こちらは演習用トンネル跡。入り口の部分だけが残されている。
架橋演習用橋脚
解説がないとコンクリの塊でしかないが確かに橋の脚である。
公園内には小高い丘があり荒木山と呼ぶのだそうだ。殉職した荒木大尉に因んで名付けられたという。ここではラッパ隊の演習が行われていたようだ。
将校集会所・千葉連隊区司令部
千葉公園を東に歩くと公園が見えるのだが、ここは将校集会所のあった場所だという看板もあった。建物は一切残っていないが集会所前の丘が残されていた。
公園の真向かいには関東財務局千葉財務事務所があり、こちらは千葉連隊区司令部の門柱がそのまま使われているのだとか。これも言われないとわからないな。
約3時間ほどであらかた回れたと思う他にも掘ればたくさんありそうなのだが、気が向いたらいくとしよう。