akiraの個人ブログ

akiの個人ブログです。読んだ本の感想、めんたねでやってる心理学、カウンセリング、催眠の事とか、他にも旅行、外食、買ってよかったもの、ラノベ、アニメなど興味のあるものを書き連ねていきます。

上野千鶴子の東大の入学式の祝辞で憤慨した人の記事を読んで小坂井敏晶のロールズ『正義論』批判を思いだしすごく腑に落ちた話

きっかけはこの記事。

anond.hatelabo.jp
上野千鶴子が東大の入学式の祝辞が話題になったのはすっかり有名なのでみんな知っていると思う。上に貼り付けた記事は、上野の祝辞に憤慨した人が書いた物だ。特にこの箇所に憤慨したようだ。

「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」

リンク先を見て貰えば解るが、この記事を書いた人は家庭環境が悪く、学歴も無く低収入なのだという。この言葉を受けて記事では「これは俺達の様な低学歴低所得で親が子供への教育の大切さを理解せず教育に投資してくれなかった者達が自分達の不遇を慰める為にこれまでずっと援用してきた理論だ」と書いてある。

どういうことかというと、不遇な状態にある人間が、責任転嫁や自己弁護のために使ってきた理屈なのだ。例えば勉強ができなくて低い学歴を不満に思っている人が居たとすれば、「俺が悪いのでは無くて、教育を受けられなかった社会が悪い」と言ったりする。そうすると、自分が悪いのでは無くて社会や環境の責任にすることができる。
だから上野が言うのは「俺の理論」なのだという。
上野が言っているのは「東大に来られる位の能力があるのは、努力の成果じゃ無くて恵まれた環境のお陰だ」という話だが、不遇であれ恵まれているであれ、本人に原因を見るのでは無く環境に原因を見るという点では同じだろう。

この記事を読んでものすごく僕は腑に落ちた。どういうことかというと小坂井敏晶の『責任という虚構』という本にこの点について言及した箇所があったからだ。

責任という虚構
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欠陥者の皆さんへ
あなたは劣った素質に生まれつきました。あなたの能力は他の人々に比べて劣ります。しかしそれはあなたの責任ではありません。愚鈍な遺伝形質を授けられ、劣悪な家庭環境で育てられただけのことです。だから自分の劣等生に対して恥ずかしがったり、罪の意識を抱く理由はありません。この不幸な事態を補填し、あなた方の人間性が少しでも向上するように我々優越者は文化・物質的資源を分け与えます。優越者に対して感謝する必要はありません。あなたが受け取る生活保護は、欠陥者として生まれてきた人間の当然の権利なのです。劣等者の生活ができるだけ改善されるように社会秩序は正義に則って定められています。ご安心下さい。
 
同期に入社した同僚に比べて自分の地位が低かったり給料が少なかったりしても、それが意地の悪い上司の不当な査定のせいならば自尊心が保たれる。序列の基準が正当ではないと信ずるからこそ人間は劣等感にさいなまれないですむ
『責任という虚構』P245~246を引用
 
と、長い引用になったがこんな感じの批判だ。
「欠陥者の皆さんへ」と題された手紙は小坂井が元ネタを参考にした創作だが、要はロールズが言うように最下層がもっとも引き上げられるところまで国家が再分配した結果を想像してみたらこういう手紙が送られてくる世の中になるだろうと言うのだ。

ロールズが言ってるのは、社会の最底辺の人間は遺伝や財産や家庭環境など外的要因に左右される能力によって最底辺になってしまう。それは外的なものだから本人の責任では無いし、だから劣等感を抱く必要は無いと言うことだ。そこを小坂井は批判する。

要はロールズの思考実験で仮に社会が回ったら、社会の最底辺の人間の自尊心は保たれないと小坂井は言うのだ。どんなに不平不満があっても上司が悪いとか社会が悪いとか責任転嫁できる外部があれば当人の自尊心は保たれる。だってこの理屈で悪いのは環境や他人だ。だから自分は悪くないのだと言える。

ところがロールズの説では最底辺の境遇に生まれたら、原因はそういう環境にうまれた自分自身にしか求められない。本当に公正正義に評価されてしまうと、本当に悪いかどうか解らないけど社会が悪いとかだれそれが悪いとか言えなくなるからだ。だから自分を恨むしか無い。

最初に引用した記事がまさにそういうことを言っていて本当に腑に落ちた感覚がしたのだ。記事を書いた人は、環境が悪いからしょうが無いと自己弁護の説を採って自分を慰めていたわけだ。

ところが上野が言うようにエリート(社会的に恵まれた人間)が自分のもたらされた境遇が環境によって成り立っているという自覚を始めてしまうと、先に挙げたロールズ的な思考実験の世界に近づくのではないだろうか。

自分をうっすらであれ「底辺」と自覚する人間そのように公正に評価される世界で「エリート」に公正正義に評価された上で、哀れまれることは耐えがたい屈辱では無いだろうかと思う。

それよりもふんぞり返って人間的にいけ好かないで居てくれた方がかえって気が楽なのかもしれない。そうすればエリートだからってふんぞり返りやがってと毒づくこともできる。だが、エリートに哀れと思われたら毒づいて自尊心を守ることもできない。

「逃げ場がなくなる」って書いていたがそれは本当にそうなんじゃないかと読んでいて思った。そしてこの感覚はピンとこないと解らないと思う。俺も小坂井敏晶の本を最初に読んだときはピンとこなかった。だけど今回の記事でいろいろ自分なりに考えていたことがつながって凄く腑に落ちたのだった。だもんでこんな記事を書いている。
もっともこのことを記事にするつもりは無くてTwitterで何の気なしにつぶやいたらバズったので書いてみただけだが。

あと小坂井敏晶は面白いぞ。
 
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