akiraの個人ブログ

akiの個人ブログです。読んだ本の感想、めんたねでやってる心理学、カウンセリング、催眠の事とか、他にも旅行、外食、買ってよかったもの、ラノベ、アニメなど興味のあるものを書き連ねていきます。

外傷的育ちと責任概念の関係についての個人的な備忘録

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毎月めんたねサロンという集まりに参加している。
写真は先日サロンのホワイトボードだ。

http://mentane.net/workshop/pg31.html

この集まりは月1回土曜の午後に心理学や精神療法の本を輪読したり、ワークをやったり、オープンカウンセリングをしたりする集まりだ。

現在サロンでは『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』という本を読んでいる。

「外傷的育ち」とは親から虐待を受けたりして、酷い家庭環境で育ったことを言う。

そうした環境で育った人は「メンタライゼーション能力」が発達していないのでメンタライゼーション能力を育てて克服しましょうというのが本の趣旨だ。

「メンタライゼーション能力」とは簡単に言えば自分の感情を把握する能力だ。自分がなにに怒って、なにに悲しんでいるか?そして自分の感情をどうコントロールするか?そういう能力だ。この能力に問題があると他者との関係に問題を抱え、精神的な疾患を持つことが多い。

そうした酷いところで育ち、酷い目に遭った人と「責任」という概念は密接に関わっている。

酷いところで育った人は、自分の抱える問題の原因が酷い環境で育ったことを自覚すると、怒りの矛先を親に向ける。親に対してこんな育て方しやがってとかこんな家庭環境で育てやがってとか、親としての責任を追及する。ここで責任概念が登場する。こう思うのは自然な話で別に悪いことでは無い。

サロンの当日の流れでは前段階として責任概念について知っておいた方が良いという話で責任についての話になった。

文責は僕にありますので念のため。

以前にめんたねサロンでは、小坂井敏晶の『責任という虚構』という本を輪読している。

この本の論旨を凄く簡単にいってしまうと、責任とは存在するものではなく、社会が作り出すものだ。機会があればこの本については書きたいと思う。

そもそもなぜ人は責任を追及するのか?
責任を追及する人は何かしらの形で何かを奪われた人だ。それは心の平穏であったり、金銭であったり、場合によっては命だったりする。原状復帰や保証賠償の為のものとして追求されるというのはあると思う。
しかし現象復帰や補償賠償の出来ないものい対してはどうか?命は戻らない、この本で言えば幸せな子供時代も戻すことが出来ない。だからせめて原因を作った人間に同じだけの苦しみや報復や罰を与えたいと考える。おおよそ普通の人間が持ち得る普遍的な考えでは無いか。

更に当事者で無くとも責任を追及する。
つい最近オウムの麻原を始め幹部が死刑になったが、悪いことをしたのだから死刑になって当然だと考える人は大半だと思う。僕だってそう思う。そう思うことを非難するつもりは全くない。
ここで言わんとすることはどうして人は責任を追及するのか?という責任のシステムについてだ。

小坂井氏の本の中にもあったが悪いことをした人間には相応の刑罰が無いと社会が不安定になる。不安になる人が多くなる。だから解りやすい形で罰を受ける人間が必要なのだと。

なにが言いたいのかと言えば、心の平穏や安定のために人は責任という概念を必要とする。だから作り出す。ということ。

ただし、いきなりこの概念を持ち出すと危うい解釈をし出す危険もある。どういうことかというと、責任という概念は作り出される虚構なんだから追求しても無意味だ、だから追求しないと口では言う。だがそう簡単に割り切れるものではない。

前述したように責任概念は不幸なことがあったときに個人があるいは社会が心の平穏をはかるために作り出すものだ。逆に言えば責任概念には、心の平穏を保つという効果がある。

親への責任ということを言うことで一時的にであれ、心の平穏を保てるという効果は確かにあると思う。だからそれまで親への責任を追求して居た人がいきなりないものにすると親への恨みの感情にふたをして抑圧することになる。これはよくない。
メンタライゼーション能力とは自分の感情を把握する能力だ。把握できるからこそ自分の感情に適切な対処ができるのに、これでは真逆のことをやっている。治療には役立たない。

大切なのは自分が親への責任追及の感情があるんだということをちゃんと自覚はしつつ、しかしそうはいってもそれだけでは原状は変わらないし、親も多分変わるというのは難しいし、子供時代に戻ることも出来ない。けれどもやっていく。そういう微妙でやりきれない感情を自覚して受け止めていくことなのだと思う。なかなかこれは難しいのだが。

そしてそういう感情を受け入れながらも、親や社会への責任追求だけで留まらずに自分が変化していく方向に目を向けて、自分の人生に自分で責任を持つという方向に持って行くこと。これが改善への方向性になる。

ざっくりまとめると、改善のためには自分で自分に責任を持つ必要がある。
だが、酷い環境で育つと親や社会に責任を追及してしまい自分で責任を取ることが難しい。責任概念自体は実体のあるものではない。しかし実体がないからといって親への責任追及の感情にふたをしても良くない。

感情をもってることも自覚しつつ、しかしその一方で親へ責任追求してもしょうがないと思いながら、自分で自分の人生に責任を持つ。というメンタリティーが持てるようになるとだいぶ改善しているということになる。