akiraの個人ブログ

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千葉県富津市の上総湊で神札頒布の奉仕に行ってきた。2020年12月

毎年12月に恒例となっている千葉県富津市の上総湊での神札頒布の奉仕に行ってきた。


過去にも記事は書いているがこんな感じだ。

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外房線を楽しむ

例年仕事が終わってから夜に上総湊駅へ行っていたのだが、今年は日程の関係で明るいうちに行くことにした。内房線に乗っていくのだが、これまで行きも帰りも真夜中での利用だったので、明るいうちに乗って車窓を眺めたり駅を眺めることができて結構新鮮だった。

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下の写真をよく見てもらうとわかるが、線路が合流して単線になっている。君津から南は単線の路線だった。4年目になるが今更気がつく。真っ暗だとわからない。蘇我をすぎると途端に田舎になるし、一応僕は千葉県民なのだが同じ県内とは思えず、毎回長旅をする気分になる。電車も本数が少ないので自宅から目的地までの移動時間は、名古屋までの移動時間とあまり変わらなかったりする。
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16時前に目的地の上総湊駅に到着した。
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八雲神社へ

田舎だ。田舎である。
今回はお世話になる八雲神社にちゃんとお参りしようと思って早めに行ったのだった。毎回宮司の椙山先生の自宅を拠点にしてお札を丸一日配っていて、終わったらさっさと帰っていたので4年もやっているというのに、奉仕する神社に行ったことがなかったのだった。
神社は上総湊駅からすぐ目の前の高台の上にある。下の写真は神社近くの崖から東京湾を見た様子である。うっすら地平線に見えるのが、観音崎や久里浜や浦賀のあたりである。
ここは港町でもあるから、津波が起きた際には安全な高台になっていて、そういう場所に神社が建てられているのは先人たちの知恵だろう。そしてそういうところには学校もある。
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駅から高台を上ると中学校が見えて、中学校の向かいに神社裏の鳥居が見えた。
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八雲神社本殿である。「八雲神社」と名のつく神社は、ここ上総湊以外にもたくさんあるが、スサノオを祀る神社のことだ。明治以前は牛頭天王といったり、神仏習合の流れもあったわけだが・・・と書いていて、そういえば神仏分離以前の神社の形や変化を宮司に聞いておけばよかったなと思う。今度会ったときに聞いてみよう。
伝承では景行天皇即位の四十年(西暦110年)にこの地を訪れた日本武尊が、スサノオの神霊を祀ったことに神社の起源があるそうだ。歴史学的な点での史実はさておくとしても、実際古くからの神社であろう。
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飾り立ててあるのは正月飾りです。
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なぜか境内に東照宮があったので、なぜ東照宮があるのか聞いたところ、江戸時代に幕府が一国につき、一社東照宮を建てるようにとの決まりができたそうで、当時この地域は里見氏が統治しており、東照宮建立を快く思わなかったので国の一番端にあるこの神社に東照宮を建立したとか。その辺よくよく調べてみたいと正確なことはわからないが、そう言った経緯があるみたい。
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境内には2019年に千葉県南部を襲った台風の爪痕がまだ残っていた。倒木が凄まじい。
あらかた整理はされていたが、丸太が整理されて置かれていた。
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神社を後にして表参道を降りていったのだが参道脇にも倒木がいくつかあった。これでも参道が通れるようになっただけかなり改善されたようだ。台風の被害当初は参道も通行できなかったとのこと。
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神社を後にして宮司の家に向かう。上総湊の田園風景を楽しむ。
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宮司のお家。こちらも正月飾りが出始めていた。
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乱雑に置かれた地図や荷物。休憩用のお菓子や飲み物。1年ぶりにホームに帰ってきた感じがする。f:id:osugi-akira:20201230235126j:image

初日の寿司

到着して夜には寿司か刺身のうまい店にいくと相場が決まっており、この日は寿司に言った。港町なので地魚が出てくる寿司が本当に美味しい。なかなか東京では食べられない味かもしれない。
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地魚がうまい
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こちらは先ほど釣れたというイワナの唐揚げ。お客さんが釣ってきてくれたのをお裾分けでいただいた。どえらいうまさだった。
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ここにきたら必ず食べることにしているはかりめ(穴子)の寿司だ。穴子は上総湊の名物で名物というだけあって味が本当に違う。ふんわりとした食感がたまらない。これを食べるだけでもここにきた価値があるというものだ。
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こちらはコチ。白身のすっきりした甘さが美味しい。
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寿司を食べながら、神道の話学問の話に花が咲く。毎年こういう話をするのを楽しみにしながら来ているというのはある。宮司は國學院大学の教授をしていて、専門は考古学なのでとくに考古学に関する話は知らないことも多いので面白い。丹後丹波は変なところで出土する弥生時代のものにコバルトブルーのものがでてこれがおかしいと。こういうのは4世紀が普通で弥生時代はないはずだが・・・みたいな。この日は増田遺跡で出土した埋葬で割られた鏡を復元してしまった話などもしていた。

ところでコロナの影響がこちらはどんな感じなのかと思っていたのだが、地元ではほとんど感染者が出ていない影響もあってか、マスクしている人が少ない。ていうかあんまりいない。農耕地帯もあってだだっ広いのもあって、密になりにくいというのもあるかもしれない。東京の殺伐とした感じが全くなく別世界という感じがする。実にのんびりしている。こちらは頒布中常にマスクはして対策はしていたけど。

しかし同じ千葉県の県内移動なのだが交通機関の問題もあって、南に行くととたんに別世界になる。それでもこの上総湊のあたりは東京アクアラインもあって東京へのアクセスは比較的しやすいのだが。

帰宅するとケーキがあった。地元の方がクリスマスが近いと気を使って(当日は12/26)ケーキを用意してくれたのだそうだ。神主の家でクリスマスケーキを食べるとは思わなかったが、ありがたくいただいた。
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神札頒布1日目

神主の格好で配るわけだから、履くものも下駄か雪駄でやる。丸一日鼻緒があるものであるくと足を痛めるのでこのようにテーピングをして臨む。実際にやっておくと足の負担が段違いだった。僕はさらに白い五本指靴下を履いて、その上から冬用の足袋履くことにしている。
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当日の朝の様子。いい朝だ。
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昨年まで気がつかなったのだが、野良猫が家に居つくようになっていて、猫がしょちゅううろうろとしていた。かわいい。
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健康的な朝飯。普段シリアルしか食べないのと、普通にお米も味噌も抜群に美味しいので、つい食べすぎてしまう。お米は新嘗祭で納められたものを食べている。
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車で街道まで出してもらって街道沿いを1軒1軒回って配っていた。
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格好はこんな感じ。もはや年一でしか着なくなった白衣白袴だ。手元に抱えている白い風呂敷の中に神札が入っている。
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神札は神宮大麻と氏神のお札と、宮司が手作りで作る年神様だ。写真にとるのは憚られるので封筒だけ写真に撮って掲載しておく。
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実際に神札を渡すときは神様を渡すので直接手渡しするのではなく、下の折敷に載せてお渡しするようにしている。家によっては向こうで折敷を用意している家もあるのでそういう家の場合は、向こうの折敷に乗せる。
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午前中は特に問題なく配れた。原則氏子地域にある家は全て訪問することになっていて、これが結構広大なので大変である。ちなみにマザー牧場も氏子地域に入っているとのこと。毎年結構な大人数6、7人くらいでワイワイやりながら、配っているのだが、今年はコロナの影響もあり、人数を絞って2、3人くらいでやったので、なかなかペースが進まず大変だったそうだ。
お昼に家に戻ったら豪勢なご飯ができていた。近所の氏子さんが作ってくれる。謙遜されていたが、こういういかにも農家のメシという感じのものが本当に美味しい。野菜もシャキシャキ加減がすごくて最高だった。ここでも食べすぎた。
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余っていたブリの刺身もいただいた。
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午後もこんな感じのところをうろうろしながら配っていた。
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台風の影響でブルーシートが屋根に見える家がまだちらほらと残っていて、大抵は空き家になっている。取り壊すのもお金がかかるし、修理して済むくらいなら引っ越した方がいいと判断した家も多いらしい。例年より空き家が増えた気がする。
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晩飯。朝昼と食べすぎて程々にした。
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帰宅したら猫が家に侵入してきて、宮司がとっ捕まえて追い出していた。
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神札頒布2日目

2日目も良い朝食をいただく。
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初日は川沿いの街道を中心に配っていたが、2日目からは北上して高台にある家を回っていた。坂道が多い。川から離れるにつれて標高が高くなるので河岸段丘というやつなんだろうか。雪駄ではややつらい。下駄よりはマシなのだが。
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高台の上の方には地層が見える場所があった。楽しい。
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昼休みに家に戻ると氏子さんたちが正月飾りの作業をしていた。ワラをゆったりしている。
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この日もお昼を家でいただく。料理などの世話をしてくれる氏子さんは中国北京のご出身で和食も美味しいのだが、この日はトマト卵炒めの中華料理があった。
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キンメの煮付け。うますぎた。
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食事が終わって正月飾りの様子を見ると、作業が佳境に入っていた。
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もろもろの飾り付けるもの。
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午後は2人組になって、残っている家を練り歩いた。高台の家を中心に回ったのだが、高台だけあって眺めの良いところが多い。
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頒布が終わると、世話役をしてくれている方が車でビュースポットに連れていってくれた。
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写真だとわかりにくいが、この日はうっすらと富士山が見えていた。内房線もみえるので、運がいいと富士山と内房線が一度に見えるスポットで写真を撮りにくる人も結構多いらしい。
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頒布からもどると正月飾りが完成していた。神道を学問で専攻してはいたけども、こうして神主の家での本格的な正月飾りをみるのは初めてである。民俗学の実習みたい。ちなみにシャケが結構生臭いです。海の物、山の物の珍味を祀っている。こうして年神様をお迎えするのである。
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帰りの準備をしながら部屋を物色していたら、神宮暦を見つけた。そういえば、実物を見るのは初めてだと思ってパラパラとめくってみたら結構これが面白い。
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暦なので月ごとの月齢やら日の出日の入りやらも書いてあるのだが、下の方に農業にまつわる豆知識が入っていて、タピオカについても書いてあった。ちゃんとトレンドを意識してあるんだなと。先生(宮司)にお願いして、一冊いただいた。

夜はリクエストしてまた寿司屋に連れていってもらった。出てきたのは穴子の頭の煮付け。柔らかく煮てあって骨ごと食べられた。トロトロで濃厚で最高だった。最終日であったからビールも頼んだけど、酒に合う。
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こっちは何の魚かわすれたけど、ハラミ。
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相変わらず寿司はうまかった。
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寿司を食べながら、「そういえばこの神札頒布はいつごろからやってるんですか?」と先生に聞いてみたら「中世はわからないけど、近世は確実だよ」とはおっしゃっていた。やっぱり起源は伊勢の御師になるらしい。実際この奉仕でも神宮大麻は配っているわけだし。こうした神札頒布はこの神社だけではなく実は昔は東京でも横浜でもやっていたところはあったのだが、だんだん少なくなっていた。今でも東京でやっているところはあるが、やっているとしても昔から付き合いがあって確実に受け取ってくれる有力な氏子とのころだけである。ここの八雲神社はとりあえず氏子区域全体は一度訪問するので全国でも貴重な場所でであろうと思う。

ちなみに他の場所で神札頒布をやると都市部では特に子供にエアガンで打たれたり、玄関先で水をかけられるなんて話もあるようだ。ここは地域の共同体がよく残っているので、毎年恒例のこととして暖かく出迎えてくれるが、ある神主にいわせると「ここで神札頒布の奉仕をやると、ここが当たり前だと思うから、神主になるやつはここで一番最初にやっちゃだめだな」とのこと。

他には幕末期に先生のご先祖が結構苦労して従五位下の官位をとったのに、明治維新がきてしまってその官位が無効になってしまった話や、明治維新を迎えて神社が国家の管理下になり、世襲が廃止されて、一度先生のご先祖も八雲神社の宮司をクビになっていたという話を聞いた。クビになったご先祖は4年ほど無職だったようだが、地元の人の尽力もあってか八雲神社の宮司に復帰されたとのこと。地元では宮司を解任されてから、山から鳴くような音が聞こえて、宮司に復帰するとその音がすっかり止んだとか。山が椙山(宮司の名前)を宮司に戻せと言ってたんだと。そんな逸話が伝わっているらしい。

寿司屋を後にして上総湊駅から帰った。夜の上総湊駅は秒速5センチメートルみたいである。また来年もこよう。
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